2011年07月23日

自治体における非常時情報発信復元力に関する調査 その2

前回に引き続き、発災後の情報インフラ復旧対応についてヒアリング調査です。

今回は宮城県庁と女川町に行って参りました。女川町は宮城県の中でも被害が大きかった地区の一つですが、岩手県の沿岸自治体などと比べて情報の復旧は比較的早く、その辺りの要因について県との連携も含めてお話を伺いに行きました。


県庁に向かう途中、仙台の伝統的居住スタイルである若林区長喜城の「いぐね」を見に行きました。

IMG_0633r.png

長喜城は津波の被害を受けなかったものの、地震によって歴史のある家屋がずいぶん被害を受けていました。地元の人の話によると、3月の地震より4月の大きな余震のほうが建物の被害が多かったそうです。

津波の被害を受けた地区の田んぼの多くは瓦礫や塩で作付けができなかったそうですが、ここ長喜城の周辺には稲が青々と育っていて復興の力強い意思が感じられました。


一方で女川は市街地が根こそぎやられており、鉄筋の建物を除いてほぼ何も無くなっていました。

IMG_0089r.png

写真の中央左側にある建物が元町役場なのですが、津波でめちゃめちゃにされています。現在、役場は女川第二小の脇にプレハブの仮説庁舎を作ってそちらに移っています。

IMG_0659r.png

IMG_0649r.png
中は風通しが良く広々です。

すぐ隣にある小学校には、被災後現地の人々が外と連絡をとる手段として活躍した衛星電話がまだ残されていました。
IMG_0050r.png

女川は幸いにもHPのデータサーバが外部にあり、情報インフラの復旧も比較的早く行われたものの、それでも現地での受発信が自由にできるようになったのが4月に入ってからということでした。災害FMは4月中旬に地元民や外部のボランティアの方によって立ち上げられ、今も校庭の片隅の小さなプレハブで情報を発信し続けています。

img_saigaifm.png

今回の一連の調査で見えて来たのは、twitterの災害時情報ツールとしての未成熟さと、防災無線や災害FMなどの確実さ、その二極化です。若者は携帯などを使って情報収集できるけれども、お年寄りなどは完全にラジオが頼りです。社会システムとしてこれらツールをどう上手く組み合わせて減災につなげるのか。必要な情報がより多くの人に速く確実に伝えられるシステムができれば、私たちは予期せぬ災害にもっと強くなれる。


女川の帰りには石巻に寄って被害を確認してきました。

IMG_0665r.png

一見すると無事に見える住宅街ですが、一階部分が津波にやられており、9割が住めない状態になっています。建物は残っているのに、住めないというのが、残酷です。こういう状態の住宅街が広範に広がっており、被害としては非常に厄介な事がわかりました。

もっと海に近いところに来ると今度は一面の荒野が広がっています。
IMG_0108r.png

海岸沿い5、6kmにわたってこの光景が続いているのですから、これは本当にたまりません。
被災規模最大とされる石巻の状況が痛いほど良くわかりました。
posted by 早稲田大学復興戦略研究チーム at 12:40| 活動報告

2011年06月26日

自治体における非常時情報発信復元力に関する調査

久しぶりの更新です。

4月以降、内々で復興の議論をしておりましたが、震災から3ヶ月が立った今、現地もほぼ落ち着きを取り戻してきたところで訪問調査を始めております。

今回は岩手県庁と大船渡市役所に発災後の情報インフラ復旧対応についてヒアリングを行ってきました。停電とその後の津波によるインフラ網の破壊、有線が復旧するまでのtwitterによる代替発信など、当時のリアルな状況について話を聞く事が出来ました。物理的インフラの混乱に加え、人的マネジメントシステムの混乱等、今後の課題が見えて来る調査でした。

IMG_0589.JPG
(写真は6月末の大船渡市。まだまだ瓦礫が沢山あります。)


とりわけ印象的だったのは成熟した情報化社会における危機管理体制の甘さです。個人が情報発信源となれる現代、善意に基づくとはいえ、大量の不確かな情報が役場機能を麻痺させてしまうことも実際に起って来ています。大量の情報をどうやってさばくのか。その人員確保やシステムの構築など、検討する必要がありそうです。

今後首都圏で同じような大震災が発生した場合、安心安全を確保するための情報をどうやって収集し、またどう発信してゆけるのか。そのときの自治体の役割は?などなど、3.11の経験から多くを学ぶ必要があります。

研究チームでは引き続き情報復元力の調査を被災地に対して進めて参ります。


IMG_0598.jpg
(大船渡市役所の前。「幸福を実感できる市をめざして」というスローガンが印象的でした)
posted by 早稲田大学復興戦略研究チーム at 17:45| 活動報告

2011年04月06日

炊き出し支援

先週土、日と炊き出し支援のため気仙沼に行って参りました。

私たちにどのような支援ができるのか、まずは現地に行ってみないとわからないということで、ひとまず今出来る最大の支援=炊き出しをしようということになりました。

現地と連絡をとり、なんとかコーディネートを終え、いざ出発に向けて準備です。

IMGP4271r.jpg
IMGP4290r.jpg

西川口にある前線基地の前日の様子です。
皆さん不眠不休で働いています。


土曜日の午前0時に西川口を出発し、東北道を北に向かって急ぎます。

IMG_0942r.jpg

途中、ところどころで被害を受けた建物も見受けられました。
高速道も福島辺りから応急処置を施した個所(でこぼこしている)が出始めます。
津波ばかりがクローズアップされますが、内陸の地震被害も相当なものです。


気仙沼に着いたのは午前8時。
そこから現地のコーディネーターにまちを案内してもらいました。

IMG_0948r.jpg


一見して被害はないかのようにみえるまち。
ところが一つ角を曲がっただけで世界は一変します。


IMG_0950r.jpg
IMGP4479r.jpgIMGP4454r.jpg
IMG_0955r.jpg


唐桑地区は津波後の火災の被害が大変だったそうで、一面の焼け野原となっていました。

IMG_0970r.jpgIMGP4710r.jpg


大島のクッションがなく、太平洋からくる津波をもろに受ける最知地区はさらに大きな被害を受けていました。

IMGP4867r.jpgIMGP4816r.jpg

跡形もありません。
いったい何が建っていたのかすら定かではありませんでした。

現地の案内人の方が話してくれましたが、3週間たってようやく落ち着きを取り戻して来たといいます。
しかし、3週間でまちはこの姿なのかと思うと、津波が与えた被害の大きさが改めて感じられます。



一通りまちを案内してもらってから炊き出しの準備に入ります。

IMGP5034r.jpgIMGP4921r.jpg

今回の炊き出しは研究チームのメンバーが震災前からお世話になって来た埼玉県西川口の商業者の方々から多大な支援を頂いて実現しました。埼玉県産の野菜と特産の麦味噌を使った豚汁と、西川口の新名物「焼き焼売」で気仙沼の人たちを元気づけます。こんな時だからこそ離れた地域同士、助け合わなければなりません。

IMGP4940r.jpg

「4日ぶりに温かいものを食べた」
「いつも非常食ばかりなので野菜を取れてうれしい」
「味噌がひと味違っておいしい」
「この焼き焼売はいける!」
などなど、嬉しい好評を頂きました。

炊き出しは市役所の人にも振る舞い、200食全て完食です。

また、復興計画研究チームとしてどんな支援が望ましいかという話も気仙沼市役所の人と行い、意見等交換しました。気仙沼に来たのは早稲田が初めてということでしたが、今後は早稲田だけでなく他の私立大学も含めた復興支援の体制を整えることが必要になるでしょう。



夜は市庁舎の一角に建つ避難所を借りて休息です。
IMGP5063r.jpg

避難所の方達にもあたたかく出迎えて頂きました。


翌日は特別に気仙沼漁港機能再生検討委員会の第二回目にオブザーバーとして参加させて頂きました。

IMGP5198r.jpg

復興の道筋が不鮮明な中、気仙沼の人たちの立ち上がる姿に一筋の光を見る事ができました。
気仙沼の復興なくして東北の復興なし。そう思わせてくれる力強さがまだまだ生きていました。


チーム一同、この二日間を忘れる事は決してないでしょう。
私たちがどこで何が出来るのか、あるいは必要とされているのか、まだまだ分からない中で気仙沼の人々は受け入れてくれた。その事実だけでも東京で考える私たちを勇気づけてくれます。ここからが中長期的な復興のスタートなのだと、奮い立つ思いでいっぱいでした。


posted by 早稲田大学復興戦略研究チーム at 15:16| 活動報告